佐竹のルーツ

先日、実家に帰った折り佐竹のルーツのことが話題になりました。昔からある小さな集落の戸主たち8人ほどが「ケイヤク」といういわば結いを代々結んでいて、冠婚葬祭のときに助け合うようになっているのです。昔は結婚式なども役割があったようですが、現在は葬儀のときが主な仕事になっているようです。葬儀場の受付や、墓所の納骨、翌朝の墓参りなどケイヤクの人たちは喪主を全面的にサポートするようになっていて、とても親密な関係です。土葬のころはむろん墓堀りもケイヤクの人たちがやりました。その分ケイヤクの人たちは喪主から重んじられ、上座が用意されます。
儀式が済んで、座が開けたころ佐竹のルーツのことが話題になりました。私の父は次男なので分家になり本家には頭が上がりません。本家にはまた本家があり、その本家にはそのまた大本家というのがあって、もう何代続いたのか分からないとのことでした。私も子供のころは、本家には行けても大本家に行ったのは1回か2回ぐらいです。大きな茅葺の家の真っ暗な土間に入って行く勇気もなかったし、用事もありませんでした。
そういえば、昔は養蚕が盛んで本家も大本家も蚕棚をもっていました。蚕が繭を巻く頃に母は繭玉という団子をつくってお祝いに持たせたことがあります。小学校3年生ころだったでしょうか。ところが途中でころんでしまって、ふろしき包みから繭玉が何個か地面にころころ転がってしまいました。ああどうしよう・・・と。でも良く見ると、繭玉に泥んこもごみもついていません。お皿も割れていませんでした。膝小僧をちょっとは摺りむいたかな。私は何事もなかったかのように本家に届けました。
ところが、この様子を見ていた人がいました(こわこわ)。同級生の武ちゃん(武夫君)のお母さんです。このお母さんはある日私の母に告げ、母はそれを茶のみ話にしてなぜか嬉しそうに笑っていました。武ちゃんのお母さんが優しかったからこれで済んだのに、意地悪な人だったら叱られていたかも知れません。母に叱られるということがとても怖くて、なぜか素直に言い出せませんでしたね。
そうそうところでルーツのことでしたね。佐竹は秋田の藩主ですが、関が原の戦いで破れ、水戸藩から秋田に左遷された藩主です。時代はよくわかりませんが、白石には伊達藩の家老片倉家の城があって、その片倉家に佐竹藩から嫁いだ人がいるそうです。私の実家の一集落に佐竹が代々続いているのは、その一族とのことでした。その印になるものが大本家にはあるとのことでした。
子供の頃、集落一貧乏な我が家は、分家の分家のそのまた分家の末席に位置していたわけです。何ともいえない土地の威圧感から逃げ出したい一心で、自由でありたい一心で私は白石から去ったのに、やっぱり囚われてこうして帰っているんだなと思いました。
それでも昔はケイヤクの格式がうるさかったのに、今は昔話のように話せて楽しいひとときでもありました。ケイヤクの中に武ちゃんもいて、同級生同士のよしみで、きょこちゃん、たけちゃんと呼び合えるのも古里ならではの懐かしさでした。奄美に帰って来るのがちょっと辛い気持ちでもありました。
こんな物語を語る気になったのも、年のせいかもしれません。
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by sanenbana | 2006-12-16 20:24 | あまみ便り